おっぱい

私はおっぱいが好きである。


いきなり何を言い出すのか。わざわざブログを開設して早々高らかに宣言することでもない。しかし改めて言わせてもらいたい、私は女性のおっぱいがとても好きなのである。


物心ついた頃から、何故か私は女性のおっぱいに強く惹かれていた。しかもまだエロも何もよく分かっていない幼稚園児の頃から、どこか後ろめたい気持ちを抱いて女性のおっぱいを見つめていた。当時流行していた「カレーライスの女」という曲のPVに登場する、歌手ソニン裸エプロンから覗く脇乳を必死に見ていたのを覚えている。それくらいおっぱいが昔から好きであった。


ちなみに心身共に女性、恋愛対象は男性である。裸エプロンに興奮する傍ら、男の子に初恋もしていた。恋愛対象が女性であれば自身でも納得がいくのだが、そうではないので全くわけがわからない。しかも男性のおっぱいが好きなわけではなく、「女性のおっぱい」が好きなのだ。最早自分は女性が好きなのか、女性の身体が好きなのか、おっぱいが好きなのかわからなくなってくる。


当然、幼稚園児や小学生で「女の子のおっぱいが好き」と公言する女子はいない。ソニンのPVを母親と姉が白い目で見ていたこともあり、これは少し異常で、抱いてはいけない感情なのかと思い込んでいた。それは中学や高校に行っても払拭されなかった。女子校だったのもあり、下ネタを言ってゲラゲラ笑っているクラスメイトや友達の胸を揉んでいるクラスメイトもいたが、あくまでおふざけの一部であり、物心ついた頃から真におっぱいが好きで、その頃には男性向け二次エロ画像にまで手を出していた私にとっては、なんの救いにもならなかったのである。


そんな後ろめたい気持ちが払拭されたのは大学に入ってからのことなので、ずいぶん最近である。

大学に入ってからは、目に見えて世界が広がった。男子がいるからか、または変な学科やサークルに入ったからか、下ネタをあけすけに話すことが歓迎される。まずはそのことにひどく驚いた。女子校時代に下ネタを話していたのはクラスの中でも目立っていた存在、カースト最底辺クソ根暗オタクが言うには少し憚られた。そのため猥談がしたくて仕方がなかったのに、話せずにいたのである。そのため、下ネタをみんなが話していて、こんなに歓迎されるというのは衝撃であった。

おっぱい好きだということも、なにかの飲み会か何かで暴露したら色んな人に面白がられてもらえた。私の17年ほど抱いている異常性癖を「個性」だと受け入れてくれたのである。さらには、数多くの女性おっぱい好きにも出会えた。こんなに私と同じ人間がいたのか!と思わず涙した。中高の親友も女体が好きだったことが大学に入ってから発覚し、一気に閉ざされたおっぱい好きの道が開け、光に照らされたような気持ちになった。


また、私には男性同士の恋愛を好むという特殊性癖もあるのだが(それも後ろめたさを抱きながら好んでいた)、なんと学科の女子8割が全く同じ性癖持ち。「文学界の中でも流行で、現在熱心に研究されている」と興味を持って理解を示してくれる教授にも出会い、その特殊性癖への後ろめたさもだいぶ解消された。


好きなものを好きだと言うのは、案外難しいのかもしれない。というのも、それが他者も好きだと知っている時、受け入れてもらえるという確証を持っている時でしか告げられないからである。

自分の好きなものは、その人のアイデンティティでもあり、パーソナリティでもある。好きなものを他人に否定されることほど悲しく、怖いことはない。否定される対象が親や親友、恋人など自分に近しい相手であればあるほどその傷は深くなる。私も男性同士の恋愛が好きだということをホモフォビアが強い父には言えなかったし(バレたのち受け入れてくれたが)、おっぱいが好きなことは未だに言えていない。


しかし、好きなものを好きだと誰かに告白しない限り、自分の中で後ろ暗い感情を抱きながらそれを愛することになる。良さを誰とも分かち合えない悲しさ、ひいては誰も本当の自分を受け入れてくれないという孤独感。万人が好きだというものを「好き」だと言ったところで、自身と周りのイメージとの乖離に苦しむことになる。


もちろん、私の日々の気持ち悪いツイートでフォロワーは減少の一途をたどっているし、「まじでキモいから堂々と言わないでほしい」と思っている人も多数いることだろう。

また、好きなものを好きだと言うことは、時に誰かの「好き」を否定し、傷つけてしまう可能性もある。おっぱい好きに関しては、おっぱいに激しい憎悪を向けている人はあまりいないだろうからその心配はないけれど、それがニッチな趣味になればなるほど戦争になることは必至である。もしかしたら大事な人と大きな溝を生み出すこともあるかもしれない。


一方で、正直もう受け入れられないのは仕方がないのかな、という気もする。好きな気持ちは変えられないし、それも含めて私自身なのだから仕方ない。何事にもどんな選択をしても失うものはあるし得るものはあるのである(ちなみに男性同士の恋愛を描いた漫画『同級生』に出てくる台詞)。「好きなものを好き」だと言った結果フォロワーを失うかもしれないが、その分同志が見つかるかもしれない。何より(それがよほど犯罪に抵触しない限り)本当の自分をさらけだすことが、自分を認めるうえでも、他人と真の人間関係を築く上でも重要なのではないだろうか。


なので、私は堂々と女性おっぱい好き、オパニストとして生きていこうと思う。全てのオパニストに、全ての異常性欲者の人々に幸あれ!